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補中益気湯と慢性疲労

補中益気湯と慢性疲労

慢性の疲労は、単なる「疲れ」という言葉で片付けられないほど、からだにとって深刻な影響を与えるものです。慢性疲労症候群の一連の症状は、人の暮らしにつきものである「疲れ」をないがしろにしてはならない、という警告であると受け止めたほうがいいようです。 それでは一晩の睡眠と休養では回復しない「疲れ」には、どのように対処すればよいのでしょう。また慢性疲労症候群のような、つらい状態にまでさせないためには、どのように対処すればよいのでしょう

補中益気湯は、脾胃の失調による諸症状を治療する薬

バイタリティの低下、慢性の疲労を起こす原因の一つに、脾胃の機能低下があります。
 脾胃は、解剖的な概念ではなく、脾や胃、小腸、大腸上部までの消化器系を包み込んだ、生理機能的な概念として考えられています。したがって脾胃の機能は、食物を受け入れ、消化し、吸収し、吸収した栄養物を全身に運ぶものとされています。脾胃が失調して、その機能が低下すると、エネルギーに転化する栄養物をつくれなくなり、つくれても運べなくなります。その結果、バイタリティの不足をきたし、からだの臓器に影響してさまざまな症状が現れてきます。 人が元気に暮らしていくための、もっとも大切なバイタリティをつくりだすメカニズムの中心に位置しているのが脾胃だと考えられています。
この脾胃の失調を回復させる主な薬が補中益気湯です。

体力の低下、慢性の疲労-スタミナがない・すぐ座りたくなる・朝に弱い

疲れが抜け切れず、翌日に持ち越してしまうようになったら要注意です。立っているのがつらく、すぐに座りたくなったり、朝なかなか起きられないなどの症状も慢性の疲労の特徴です。疲労感や倦怠感はからだの機能の低下を知らせる合図です。たいていの場合、エネルギーを消費したあと、吸収した栄養物を十分に補給しきれず、疲れとして残っているのです。

こんなときは、まず休養と栄養を十分にとり、体力の回復をはかることが重要です。このことによって脾胃の力が回復します。しかし、それでも疲れが続いたり、仕事が忙しかったり、休養をとるゆとりがないときには、補中益気湯を服用するといいでしょう。ほかの臓器へ影響がおよび、症状を得悪化させないようにするためには、この時点での治療が必要です。補中益気湯は「疲労」の初期の段階で使われ、広範囲の症状に対応できる薬です。とりわけデスクワークなど頭脳労働的な仕事に従事する人は、肉体的な疲労が少ないだけに対応が遅れがちですので、気をつけたいものです。

飲食の問題

胃腸が弱い・食が細いとよく言われる 胃腸が弱いというのは、脾胃そのものの問題です。食べ物を栄養物に転化し、からだの隅々まで、ばらまいていく力が弱いのです。  脾胃の力をつけるのが補中益気湯の主要な働きです。あまり消化できない、味覚がそんなにない、食べられる量が少ない人には最適です。しかし程度の問題があります。まるで食べたくない、味覚がほとんどない、食べられる量が極端に少ないといった場合は、補中益気湯は不適当です。ご相談ください。

ときどき立ちくらみがする

頭がふらついたり、目がかすむ、頭の中が空虚な感じがするのは、脾胃の力が落ちて栄養物が気となってからだの上部にまで行きわたらない、元気不足の症状のひとつです。これは補中益気湯の適応となります。  もしめまいがして、グルグルまわるといった症状でしたら補中益気湯を服用してはいけません。別の処方になります。

昼間、汗がでやすい

これは、昼間の汗をさします。脾胃の力が衰えると、気となった栄養物がからだをめぐらなくなります。そうすると汗腺がコントロールできなくなり、たいして動いてもいないのに汗が出てきます。ただし夜間睡眠中に汗をかくことがありますが、この汗は関係ありません。

軟便・下痢気味である・頻尿である

脾胃の力が衰えて栄養物が各臓器に十分に供給されず、消化機能が低下して軟便になったり、大便を排出する筋肉が緩んで慢性の下痢になります。 また脾胃の力があり、気となった栄養物がからだに行きわたると、内臓を支える筋肉にも緊張力がつきます。これが衰えると胃下垂や子宮脱を起こしてしまうのです。これと同じメカニズムで頻尿になります。

疲労をつくりだす生活環境

人間の暮らしは、日を追って複雑になっています。それだけに自分をコントロールして、多様な暮らしの場面に対応しなければなりません。また自分自身をリクリエイトするための趣味やスポーツや娯楽が、かえって「疲れ」を溜める結果になってしまうこともあります。「疲労」という、ありきたりでいて、しかも複雑な病気は、日常生活そのものから生み出されているかのようです。  とりわけ都市型の生活については、反省しなければならないことがたくさんあるようです。健康は、必ずしもからだだけに限って考えるべきでないことは明らかです。家庭、職場、学校などコミュニティの中で、お互いに病気を考え、理解し、みんなで健康をつくっていく姿勢が必要です。